「なめらかプリン」のパステルという店をご存じの方は多いと思うが、そこを経営しているのがチタカ・インターナショナル・フーズである。同社の創業は明治35年(1902)で、名古屋の食の世界では老舗だ。
チタカの創業者は、角嘉助といい、知多郡内海(現・南知多町)の生まれ。長じて海外航路の船員となり、アジア各地をはじめ欧米も訪れて外国語に堪能となる。やがて海外経験を生かして、北海道小樽で貿易業を興し、巨富を得、寄付で小学校を作ったこともあったほど。その後、故郷に戻り、さらに名古屋市熱田区旗屋町に移り、酒類小売業を始めた。その屋号は「知多屋嘉助商店」(これがチタカの社名の元)だった。後背地に知多の醸造産地を控える利点を生かした創業だった。嘉助は大正3年(1914)に亡くなった。
家業は、長男嘉七が継いだ。まだ14歳という若輩ながら商才に長けていた。屋号は「知多加商店」と改めた。大津通の松坂屋前に開店し、酒類の卸売業も始めた。やり手の商売人らしく、話題作りも巧だった。昭和11年(1936)に名古屋市公会堂で「コロムビアオンパレード」を開催、当時のコロムビアレコードのトップスター競演が話題を呼び、招待客数千人で賑わった。だが、嘉七は昭和14年に病に倒れた。
嘉七の後は、長男嘉久次(後に改名して悦年)が継いだ。悦年は戦中に酒の入荷が途絶えて、一時廃業に追い込まれた。だが、敗戦とともに復活を遂げる。名古屋駅前で土地を借り、進駐軍用のビヤホールを開店した。昭和20年12月のことだった。これは大当たりとなり、会社の基礎を築いた。外食という業界に入る第一歩になった。そのビヤホールの場所は、後に大名古屋ビルヂングができ、屋上でビアガーデンマイアミをオープンして、ビール党を堪能させた。
悦年には弟がいた。勇次郎、朋憲で、それぞれに社長を経験した。チタカは、3人兄弟による一致団結しての経営のもと、外食の業界で様々な店を出して、事業を広げた。海外展開も早かった。昭和45年にカリフォルニア州ビバリーヒルズで、ロッキー青木氏の指導のもと、ベニハナオブトーキョーのFC店を開いた。
それからずっと時代は後になる。悦年、勇次郎、朋憲という世代が亡くなって、後を継いだのが現社長の日出夫氏だ。悦年の娘婿となり、チタカには平成2年(1990)に29歳で入社した。そして平成10年に社長就任。
本社は、愛知県北名古屋市沖村山ノ神30。
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