第2部 日清・日露戦争時代/1898(明治31年)

その時、名古屋商人は

明治名古屋を彩る どえりゃー商人 大隈栄一

大隈栄一
大隈栄一

 中部地区を代表する工作機械メーカー・オークマが創業したのは、明治31年(1898)であった。

 オークマという会社の創業時の業務内容が、麺機、つまりうどんを造る機械だったことを読者諸兄はご存じだろうか? 

 創業者は大隈栄一という。明治3年に佐賀で生まれた。21歳の時に佐賀県で巡査になったが、6年ほどで辞めた。明治29年に製麺機を造る工場を設立した。

 名古屋に来たのは明治30年のことだった。名古屋市内でうどんや、きしめんを味わいながら、名古屋こそ適地であると確信した。営業のために塩町の製麺業者を訪れたところ、当たりが良かったようだ。

オークマ(旧大隈鐵工所)
オークマ(旧大隈鐵工所)は、明治時代に大隈麺機商会という
社名で現東海テレビの北にあった(●は当時の場所)

 栄一は、石町3丁目(現・東区泉1丁目。東片端南の交差点の西側近辺)で住居兼工場を借り、31年に大隈麺機商會を創業した。工場といっても、当初は掘っ立て小屋同然であった。たった1台の旋盤と、バイス(万力)1、2台がすべてであった。

 栄一を困らせたのは、特許権だった。同業者から特許権侵害で訴訟を起こされ、それが何度も続いた。

 工作機械の分野には日露戦争から本格参入した。東京陸軍砲兵工廠から図面を渡されて、兵器製造用の旋盤や、立て削盤、卓上フライス盤を造ることになった。そのおかげで、製麺機どころではなくなった。

 事業が軌道に乗ってから、富士塚町3丁目(現・東区東桜1‐6。光蓮寺の近辺、市立富士中学校の東側)で600坪の土地を買い、明治37年に住居兼工場を建築した。昭和20年(1945)に戦災で焼失するまで、そこで居住した。

 大正7年(1918)には大隈鐵工所を設立した。それが今日のオークマにつながっている。

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序文

第1部 明治前期

第2部 日清・日露戦争時代

明治27年 日清戦争勃発
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 服部兼三郎
明治28年 日清戦争勝利
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 中日本氷糖
明治29年 ロシアに対して軍備拡張
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 サカツコーポレーション
この年に創業 馬印
明治30年 金本位制確立
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 山田才吉
明治31年 欧米列強が中国侵略
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 大隈栄一
明治32年 義和団が台頭
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 カゴメ
この年に創業 天野エンザイム
明治33年 清が、欧米列強に敗北
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 松風屋
この年に創業 オチアイネクサス
明治34年 ロシアが満州を占領
明治35年 日英同盟成立
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 岩田商会
この年に創業 チタカ・インターナショナル・フーズ
この年に創業 東海廣告
明治36年 日露開戦前夜。大須の遊郭で大火
明治37年 日露戦争始まる
明治38年 日本海海戦で勝利

第3部 明治後期

第4部 「旧町名」を語りながら