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  4. この年に創業 オチアイネクサス

第2部 日清・日露戦争時代/1900(明治33年)

その時、名古屋商人は

この年に創業 農機具から始まった オチアイネクサス

 岡崎のオチアイネクサスといえば、自動搬送装置などを造っていて、トヨタ自動車と密接な取引のある会社だが、その歴史は古く、明治33年(1900)まで遡る。

 創業者は、落合浜平とその長男の久蔵だ。久蔵は、当時まだ開通したばかりの東海道線に乗って横浜に行った。行った先は鍛冶屋で、修業をしながら技術を習得した。そして岡崎の故郷に帰ると、野鍛冶になった。父親の浜平も久蔵を応援したので、親子で創業したような形だった。創業時に造ったのは農器具や建築金物で、それを地元の峰澤商店などに納入した。

 その次の代は、久蔵の弟の菊松(浜平の次男)が継いだ。菊松は、海軍の志願兵になり、戦艦長門の機関兵になったこともあるエンジニアだった。除隊して家業に入ってからは、主に軍需関係の製造を行った。愛知時計の協力工場となり、魚雷の頭部の格納庫や、高射砲の旋回装置の組み立てをした。

 戦後は、菊松の子・芳雄の代になった。芳雄は、昭和25年(1950)に豊田自動織機からクレーンの設計・製作・修理を請け負った。これがトヨタグループとの取引の始まりだった。そして昭和30年からはトヨタ自動車からクレーン関係の仕事を受託した。昭和40年代になると、機械間搬送装置の開発製造が主力になり、それが現在の業務につながっている。

 現社長は、その芳雄の長男金光氏で、平成5年(1993)に社長に就任した。「平成2年には社名を落合鉄工場からオチアイネクサスに変えたが、ネクサスというのは“結び付き”を意味する言葉で、創業以来の『和』の精神を受け継いだものだ。創業の精神を大事にしていきたい」と語っている。

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序文

第1部 明治前期

第2部 日清・日露戦争時代

明治27年 日清戦争勃発
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 服部兼三郎
明治28年 日清戦争勝利
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 中日本氷糖
明治29年 ロシアに対して軍備拡張
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 サカツコーポレーション
この年に創業 馬印
明治30年 金本位制確立
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 山田才吉
明治31年 欧米列強が中国侵略
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 大隈栄一
明治32年 義和団が台頭
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 カゴメ
この年に創業 天野エンザイム
明治33年 清が、欧米列強に敗北
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 松風屋
この年に創業 オチアイネクサス
明治34年 ロシアが満州を占領
明治35年 日英同盟成立
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 岩田商会
この年に創業 チタカ・インターナショナル・フーズ
この年に創業 東海廣告
明治36年 日露開戦前夜。大須の遊郭で大火
明治37年 日露戦争始まる
明治38年 日本海海戦で勝利

第3部 明治後期

第4部 「旧町名」を語りながら