第4部 江戸時代後期の部/その4、天保の大飢饉

その時、名古屋商人は

この頃創業した会社・岩田結納店

「結納という儀式は、いつから日本にあるのか?」という素朴な質問から著者のインタビューは始まった。「室町時代に武家の間で広まり始めて、江戸時代になると庶民の間でも行われるようになった」と教えて下さったのは、株式会社岩田結納店の社長、岩田栄一氏だ。

「一般的に『結納7品』というのは、のし・するめ・昆布などで、例えばするめや昆布は重要な保存食品だったので、それを相手に贈ることに意味があった」という。

 岩田結納店の歴史は古い。天保2年(1831)の創業である。初代岩田甚蔵が祝儀台の製造販売を始めたのが創業だという。創業の地は、現本社の近くでパルコのある所だった。大正8年(1933)には、三代目の岩田梅太郎が祝儀台の製造を止めたが、その妻はるが祝儀台にゆかりの深い結納店を始めた。そして昭和5年(1930)頃、四代目岩田鎌吉の時に現在の基礎が固まった。

 岩田結納店は戦後、発展期を迎えた。五代目岩田八束と妻梅子の代であった昭和40年頃、戦後の経済成長から第一次ベビーブームを迎え、結婚も増えた。昭和42年には株式会社に組織変更した。昭和59年には、結納解説本『the 結納 愛知県・三重県・岐阜県の地域別結納 結納はプロポーズのことば…幸せいっぱい!アップupの方法 私がお答えします。』を発刊した。

 昭和60年、名古屋市有力ホテル各社と業務提携を開始した。昭和62年、業界初「ハナエ・モリデザイン漆器+パステルカラー水引・奉書使用の結納飾り」を全国発売し、漆器使用の結納飾りのさきがけとなった。

 岩田結納店の事業内容は、結納用品の製造卸販売で、強みは販売だけでなく、メーカーとして独自に結納用品を製造販売しているところ。「これまでかかわったお客様は数知れず。お手伝いさせて頂いたことに喜びを感じる」(岩田栄一社長)という。

 岩田栄一社長は六代目。「結納は、日本の精神文化の一つ。家と家とを結び付ける大事な儀式だ」「価値観の多様化の中で、結納に対する考え方も変化しているが、基本を崩さずに、伝統を守りながら、新しい切り口で提案したい。オシャレでファッショナブルな結納を演出したい」と抱負を語っている。

 岩田結納店は既に後継者も決まっており、後継体勢も整えつつある。

 現本社は、名古屋市中区栄3‐32‐34。

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