第4部 江戸時代後期の部/その2、間宮林蔵 樺太探検

その時、名古屋商人は

江戸の大伝馬町に木綿問屋を開業したいとう呉服店

いとう呉服店前 華やかな女性たちいとう呉服店前 華やかな女性たち(部分)英山筆『松坂屋50年史』より

 いとう呉服店は、十一代祐恵の代から、十二代祐躬、十三代祐良に至るまで、約100年の間に飛躍的に発展した。

 明和5年(1768)、江戸上野の呉服店「松坂屋」を買収して出店した。この店は別名「鶴店」と呼ばれた。

 享和3年(1803)、尾張藩の藩札「米切手」の信用を高めるための商方会所に参加を命じられた。このことは不換紙幣であった米切手の連帯保証をさせられる辛いことであったが、富商の証でもあった。

 文化2年(1805)、江戸大伝馬町で木綿問屋を開業し、それを「亀店」と名付けた。

 文化3年、幕府から御用金を命じられた6軒の呉服店の中に入り、金千500両を献じた。

 文化10年、類焼してしまった江戸上野店を新築し、その披露をかねた大売り出しが江戸市民の好評を博した。

[参考文献『近世名古屋商人の研究』(林董一 名古屋大学出版会)]

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第3部 江戸時代中期の部

第4部 江戸時代後期の部

その1、伊能忠敬 日本地図の制作に乗り出す
その時、名古屋商人は・・・
名古屋の御用達商人の格式「三家衆」制度できる
この頃創業した会社・ミツカン
その2、間宮林蔵 樺太探検
その時、名古屋商人は・・・
江戸の大伝馬町に木綿問屋を開業したいとう呉服店
その3、薩摩藩 調所広郷が財政再建に着手
その時、名古屋商人は・・・
この頃創業した会社・石塚硝子
その4、天保の大飢饉
その時、名古屋商人は・・・
岡谷鋼機が「家訓」「店則」を定める
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その5、長州藩 藩政改革に着手
その時、名古屋商人は・・・
森村グループの祖、森村市左衛門が誕生する
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この頃創業した会社・お茶の升半
その6、水野忠邦 天保の改革で失敗へ
その時、名古屋商人は・・・
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第5部 特別インタビュー