いとう呉服店は、十一代祐恵の代から、十二代祐躬、十三代祐良に至るまで、約100年の間に飛躍的に発展した。
明和5年(1768)、江戸上野の呉服店「松坂屋」を買収して出店した。この店は別名「鶴店」と呼ばれた。
享和3年(1803)、尾張藩の藩札「米切手」の信用を高めるための商方会所に参加を命じられた。このことは不換紙幣であった米切手の連帯保証をさせられる辛いことであったが、富商の証でもあった。
文化2年(1805)、江戸大伝馬町で木綿問屋を開業し、それを「亀店」と名付けた。
文化3年、幕府から御用金を命じられた6軒の呉服店の中に入り、金千500両を献じた。
文化10年、類焼してしまった江戸上野店を新築し、その披露をかねた大売り出しが江戸市民の好評を博した。
[参考文献『近世名古屋商人の研究』(林董一 名古屋大学出版会)]
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