伝馬町筋は、桜通の1本南側の道路だ。本町を境にして、西側が「伝馬町(てんまちょう)」で、東側が「宮町(みやまち)」だった。伝馬町という町名も、価値があるものだったと思う。
伝馬町というのは、その名の通り、江戸時代は馬を乗り継ぐところで、交通の要衝だった。
伝馬町には問屋場が置かれていた。常備の人足100人、伝馬100匹で美濃路、飯田街道、上街道、下街道をゆく旅人の便をはかっていた。問屋場には、槍や刺又、突棒が備えられ、他国からの不審者に目を光らせていた。
寛文5年(1665)からは、飛脚問屋が置かれ、江戸と名古屋との書状や荷物の取扱いを始めた。江戸まで、7日間で届いた。本町通と伝馬町筋との交差地点には、高札が建っていて、札の辻と呼ばれた。
伝馬町には、多くの名門、旧家が軒をかまえていた。そして明治時代になると、銀行が相次いで店を構えて〝名古屋のウォールストリート街〟になった。
Copyright(c) 2013 (株)北見式賃金研究所/社会保険労務士法人北見事務所 All Rights Reserved
〒452-0805 愛知県名古屋市西区市場木町478番地
TEL 052-505-6237 FAX 052-505-6274