名古屋市は、昭和40年(1965)前後に町名変更を行った。近代化とか、合理化が目的だったそうだが、著者にいわせれば、歴史に対する冒とくであり、許されざる破壊行為だ。
それまであった町名は、由緒ある素晴らしいものが多かった。その一つが「長者町(ちょうじゃまち)」だ。長者町は、伝馬町筋を境にして、カミとシモに分かれていた。
長者町を有名にしたのは、上長者町かいわいを根城とする盛栄連の姐さんたちだ。絃歌と嬌声のさんざめく巷へとスタートしたのは文化文政年間(1804~1830)で天保の頃が第一期黄金時代、明治6年(1873)、盛栄連が結成されると、その名声はいよいよ高く、天下の名士は千客万来、長者町通だけでも人力車詰所が5カ所もできた。芸者置屋は34軒80人(大正3年/1914調べ)、盛栄連のよき時代であった。
なお、長者町が繊維街になったのは戦後である。
写真は明治初期に上長者町3丁目から城の方向を写したものだ。なお、上長者町3丁目は、河文の南西近辺である。
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