江戸時代初期の尾張では、藩と密接に結び付いた御用商人が羽振りを利かせていた。藩の旗、のぼり、槍、時計などの製作や、公金の取り扱いなど、何らかの形で公務を負担した見返りとして、特権を認められていた。特権というのは「御扶持(主君から家臣に給与した俸禄)の商人」という言葉の示す通り、藩から一定の給与を与えられていた。
時計師・津田助左衛門もその一人。尾張藩の時計師として、多数の技術者を育てた。時計はもともと輸入品だったが、それを国産化した。尾張の地は明治に入ってから時計産業が盛んになるが、そのルーツは江戸時代に芽生えていた。その精密な加工技術が、後世の製造業につながっていくわけだ。
それから特権商人中の商人とでも評すべきなのは、茶屋家だ。『尾張藩漫筆』によると、茶屋家は永禄の時代から徳川家と結び付いていた。その分家である尾州茶屋家は、呉服店の経営とともに朱印船貿易にも従事していた。茶屋は、茶屋町(現・名古屋市中区丸の内)の東端、本町筋角の南側に壮大な居宅と店を構えていた。もっとも、この茶屋家はほかの特権商人がそうであったように、江戸中期以降には衰え、ついになくなってしまった。
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