第2部 江戸時代初期の部/その1、家康が大坂の陣で豊臣を滅ぼす

その時、名古屋商人は

名古屋商人の歴史は清須越から始まった

 名古屋のまちづくりは、慶長15年(1610)の名古屋城築城と清須からの町ぐるみの移転に始まった。名古屋の商人街は「碁盤割」といい、本町(現・名古屋市中区丸の内)を中心に整備された。

 尾張に集まった初期の町人は、穀物屋・紙問屋・油問屋・塩問屋・茶問屋・魚問屋など生活必需品を扱う商人や、鍛冶屋・とぎ師・さや師・金具屋・塗物師など武具関係の職人や、大工・紺屋・畳刺・桶屋など日常生活を支える職人達だった。

『尾張藩漫筆』によると、名古屋商人は、そのルーツによって主に3種類に区分できる。

 第1は「清須越」といい、清須から移ってきた店だ。いとう呉服店の伊藤次郎左衛門家も、その一つ。そのほかにも、尾張の鋳物鋳造の販売権を掌握した鍋屋町(現・名古屋市東区泉)の鍋屋・水野太郎左衛門家、伝馬町(現・中区錦)の飛脚問屋・渡辺忠左衛門家など、著名な店がいっぱいある。

 第2は、駿河から移ってきた商人だ。藩主義直が駿河から名古屋入りした際に付いてきた。本町の菓子屋・桔梗屋又兵衛家も駿河から移ってきた。桔梗屋は両口屋と並ぶ名古屋の銘菓商だった。残念ながら店はなくなったが、その味を受け継いでいるのが美濃忠である。

 第3は、各地から移ってきた商人だ。小間物呉服屋・十一屋小出庄兵衛家(現・丸栄百貨店)、呉服商・水口屋小川伝兵衛家もそうだ。名古屋商人として、伊藤次郎左衛門家と肩を並べることになる関戸家と内田家も、その一つ。

 現在では名古屋商人の代表格と評されている岡谷鋼機(笹谷)も、その一つだ。笹谷は寛文9年(1669)の創業だが、当時は既に「碁盤割」に入り込める余地がなく、仕方なく「碁盤割」外の鉄砲町に店を構えた。「碁盤割」に入るのは、後世でいうところのステータスだった。

残念! 碁盤割の町名喪失が歴史の喪失をもたらした

 名古屋の碁盤割という地域を考える上で、参考になるウェブサイトがある。『開府400年・名古屋の歴史と文化』というサイトだ。そこに沢井鈴一氏が町名変更について興味深い情報を寄せている。沢井氏は、市邨学園高等学校で国語科を教えておられた教諭だ。定年後は、堀川文化探索隊代表として長年にわたり堀川文化の地を調査・探索されている。沢井氏は「花の名古屋の碁盤割」と題し、次のように述べている。

〈作家城山三郎は、碁盤割の町の蒲焼町で生れ育った。彼は『人生余熱あり』『この命、何をあくせく』等の随筆集のなかで、自分は故郷喪失者であると語っている。
“私の育った名古屋は、幾度かの大空襲で焼野原になったあと、満州の曠野で都市計画をやった役人などの手で、戦後はいわば根こそぎ違う町につくり変えられてしまい、私には故郷がなくなった。”
蒲焼町は現在の錦三丁目にあたる。ビルが建ち並ぶ、ネオンもまばゆい夜の錦三は眠らない町である。(略)人々は故郷に帰った時、安らぎと慰藉を感ずる。城山三郎はまるで違う町になってしまった蒲焼町に対し、強い孤独感しか抱くことができなかった。彼をして、自分は故郷喪失者であると言わしめたもの、それは外形的な町の変革ではない。文化と伝統を放棄して行なわれた町づくりに対してである。
ましてや蒲焼町は、名古屋四百年の歴史とともに歩んできた町だ。『名古屋市史』の町名由来記によれば、名古屋城築城のおり、多くの人々が諸国からこの町に集まってきた。いつしか城普請をする人夫を相手とする茶屋、酒さかななどを売る店が多く建ち並ぶようになった。なかでも蒲焼を売る店が多かったので、蒲焼町と呼ばれるようになったという。
町名を見れば、町のなりたちがわかる。碁盤割の一つ一つの町は、名古屋の歴史をつくり、文化を築いた町だ。名古屋文化の伝統は、碁盤割の町によって伝えられてきた。碁盤割の町の風景と生活が隔離と断絶によって喪失しても、歴史と文化を喪失することはできない〉[沢井鈴一氏サイト『開府400年・名古屋の歴史と文化』「開府400年 百年ごとに名古屋は挑戦する 第1回名古屋町づくり事はじめ 花の名古屋の碁盤割」より一部抜粋]

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