著者は「歴史に学ぶ経営コンサルタント」である。その研究テーマは“続く経営”だ。続く会社と、続かない会社、その違いはどこにあるのだろうか?というのが関心事である。それを探るために地元の多くの会社を取材させて頂いた。そこで得たのが、この5カ条である。
豊田佐吉は次のように語っている。
「人間がこの世に生まれて来て、仕事がないとか職が得られないとかいうことは決してない。仕事は人がさがしてくれるものではなく、自分で見付けるべきものだ。職は人が作ってくれるものではなく、自分自身で拵えるべきものだ。それがその人にとっての、本当の仕事となり、職業となる。とにかくその心掛けさえあれば、仕事とか職業とかは無限にあるといってもいい。いつの時代でも、新しいことは山ほどある」
この言葉は、石田退三が佐吉から直接聴いたもので、その自著伝『勝負に生きる』の中で紹介されている。
この佐吉の言葉は、要するに「仕事に惚れろ」と教えているのだと解したい。「好きな仕事」という言葉があるが、それは正確には「好きになった仕事」ではなかろうか? その目の前の仕事に対して、時の経つのも忘れるほど没頭して打ち込む、その結果として仕事の楽しさが分かるようになるのではなかろうか? やがては天職と自分で思うことができるようになれば、最高の〝仕合わせ〟である。シアワセとは、「幸」ではなく「仕合わせ」と書きたいものだ。「仕事が合っているのでシアワセ」という意味だ。
この言葉もまた佐吉の言葉だ。佐吉は資本家の口車に乗せられて、豊田式織機という会社を作ってもらったが、捨てられて裸同然になった。そこから再起を目指したが、今度は他人の力は一切頼らなかった。
この自力本願は、最近日本人が忘れがちになっているのではないか? 不況になったからといって、政府に補助金をお願いするのは経営者として恥ずかしいことだ。それは、昔の商人道からすれば「甘い!」と一喝されるだろう。「だいたい政府を頼りにする方がどうかしている。商人は、どんな不況になっても己の店だけは守り抜く。その精神がなくてどうする」と―。
ここでも佐吉の言葉を紹介させて頂く、
「カネがなくてはアタマも鈍る。貧すりゃドンする。カネの心配にばかり走り回っていちゃあ、いい考えも浮かびっこない」
この言葉も、石田退三が佐吉から直接聴かせて頂いたものだ。自著伝『商魂八十年』で紹介されている。誰でもいえそうな言葉だが、お金で苦労し続けた佐吉の言葉だと、思わずナルホドと思ってしまう。
ところで、この石田退三の自著伝は面白い。退三のことを、我が師として崇めていたのは松下幸之助だ。その2人の会話が載っている。
「幸之助さんから『借金せんでも仕事のできる、いい方法があったら、ひとつ教えてもらいたいな』と冗談まじりに聞かれた。わたくしは言下に答えたものである。『そりゃあ、欲深くカネをためればいいですよ。ただそれだけのこっちゃ』。2人は相かえりみて大笑いとなったが、お互いの話はまったく真剣。マジメの上にも大マジメであった」
トヨタ自動車は戦後に危機を迎えた。銀行を回って頭を下げ続けたのが退三だった。だからお金の怖さは骨身に染み渡った。「ようし、これからなんとしてももうけにゃならぬが、もうけた金は、握ったが最後、けっして離すもんじゃない! 銀行に頭を下げず、会社の仕事は会社の金でやっていこう」と決意した。
名古屋商人は、戦前「土地」にこだわった。資産は「本業」「貸金業」「不動産」という3つに分けて管理していた。本業および貸金業で儲けたお金は、主に不動産に投資した。借家をいっぱい持つことが目標だった。
碁盤割の商人は一般的に、一見地味に暮らし、人目に付かないところで富裕をあらわすことをよし、と心掛けていた。どの家にも家訓があった。質実に、切り詰めて生活し、お金を蓄え、才覚があり、時運にのり成功した人は、次に土地を求めて借家を建てる。新田を開拓する、山林を購入する、書画骨董に目を向ける等、様々の殖財を考える。商売以外に投資し、事業を企てた人も多い。これらを借家持ち、田地持ち、山持ち、道具家、事業家と呼んだ。
結婚だって親の資産の釣り合いということが、条件の一つに数えられた。また名古屋では、借家だけで十分生活が補えることを一重身上といい、商売でも借家でも貸金でもとなれば三重身上と呼ばれた。
なぜ、そこまで土地にこだわったのか? その理由は、紙幣に対する不信感があったからだ。兌換準備金のない紙幣は、結局紙切れになってしまうのは、歴史が証明している。江戸時代に尾張藩が出していた藩札「米切手」は、明治維新になってから、ほとんどパーになった。
そんな苦しみを実体験しているからこそ、現物資産にこだわった。その考え方は、現代にも通じる。
当たり前のことだが、人間には寿命がある。一般的には男は短く、女は長い。だから商家の歴史をみていると、当主が早死にしてしまい、その妻が陣頭指揮に立って店員を励まし、盛り立てていったという場面が頻繁に出てくる。いざとなると、女の方が気丈夫かもしれない。
寿命に定めがある以上、大事なことは引き際だ。己が引いても、経営が成り立つような状況になるように、心掛けが大切だ。早めに後継者指名を行って、教育することが必要だ。
有能な経営者の中には、オレがオレがという意識が強くて、最期のご臨終の場で後継者を指名する人もいるが、それでは後継者が苦労する。中には健康に対する過信から「私の後継者は、私自身です」と“迷言”する向きもあるが、著者に言わせれば論外である。このあたりは戦国時代でも他山の石とすべき事例がある。著者の『武田家滅亡に学ぶ事業承継』(幻冬舎)をお読み頂きたい。
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