明治時代、それは現代の日本人にとって“『坂の上の雲』の時代”といっても良いのではなかろうか? NHKで3年間放送されたので、その映像は目に焼き付いている向きが多いはずだ。
本書はその『坂の上の雲』を背景に描きながら、その時代に活躍した名古屋商人を描いた。『坂の上の雲』には、色々なシーンが出てくるが、残念ながら「名古屋」の場面は1カ所しか出てこない。そこで『坂の上の雲』の場面を随所に入れながら「その時名古屋は―」という描き方をすることによって、面白く読めるように工夫した。
『坂の上の雲』の内容は、史実とは異なるという批判がある。例えば日本海海戦でのT字戦法などなかった、と指摘されている。その指摘は正しいのかもしれない。だが、本書は『坂の上の雲』の内容を議論するのが目的ではないので、それをそのまま背景に描いた。
『坂の上の雲』には3人の主人公がいるが、本書はもう1人付け加えた。豊田佐吉だ。佐吉は秋山真之や正岡子規と同世代だ。3人との対比の中で、佐吉を描くと面白い。名古屋の商人として、色々な人がいるが、なんといっても佐吉と喜一郎は別格だ。あまりにも傑出しているので、特別扱いで執筆した。豊田佐吉については、明治8年(1875)に発刊された『豊田佐吉傳』を参考にして本文にまとめた。
明治時代の名古屋商人の活躍ぶりを調べて思うのは、名古屋商人の不撓不屈の精神である。戦争とか恐慌とか、伝染病とか、我々のご先祖が経験したものは、凄まじかった。だが、ご先祖は動乱の時代の中で、逆に負けるものかの一念で闘い抜いた。今日、我々が普通に暮らしていけるのは、このご先祖のおかげである。
また、本書は「商人」という言葉が出てくるが、著者はそこにもこだわっている。「商人」という言葉は「商いをしている人。商売人。事業を行う人」という意味であって、商業に従事する人という意味ではない。この商人という言葉は戦前、一般的に使われていた。例えば、名古屋商人、三河商人、一宮商人などといった。佐吉自身も自らの工場に「豊田商会」という社名を付けている。
著者は「商人」という言葉と、「経営者」という言葉には、違いを感じる。「商人」というと、お金に非常に厳しい人で、徹底的にケチでありながら、自分の信用を守るために支払いは綺麗にきちんと行う、という言葉のニュアンスがあると思う。
かつて松下幸之助は「わては大坂の船場大学出身の商人や。経営者とは呼ばれたくない」といったが、やはり商人という言葉と、経営者という言葉は違う。だから著者は「商人道復活」を目指す意味でも、名古屋商人という表現を採っている。
トヨタ自動車を戦後に再建した石田退三も「我々は商売人という気持ちを失うてはならない。あの頃の取引は当然現金やった。品物を納めた翌日にはもう集金だった。それが商人道だった。それに比べたら現代の経営者は甘いといわざるを得ない」と説いている。
また著者が、本書で目指したのはルーツ探しだった。その会社がいま存在しているのは、創業者がいたからである。そしてバトンを渡した人がいたからである。「そもそも、この人がいたからこそ、今日がある」といいたかった。だから、創業者や中興の祖にこだわった。
本書を著すにあたり多くの老舗企業を取材して回らせて頂いた。そこで感じたのは、資料の落差だった。社史という形で残っている会社はあるが、ない会社はそれこそ何も残っていなかった。寂しいものだと、思った。
歴史を重んじることは、親孝行につながる。先人の苦労を偲び、それに感謝するからだ。それならば、もっと自社の歴史を大事にして欲しかった。これを機に社史の編纂が進むことを願う。
平成25年6月 北見昌朗
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